AVENを紹介するブログ—その他Asexualityについて

エース当事者が運営するブログです。AVEN(エイヴン)—The Asexual Visibility and Education NetworkのHPに掲載されているFAQやリソースを和訳して転載しています。和訳は、エイヴンのプロジェクトチームに承認されています。(2022) / その他エイセクシュアル(アセクシュアル)に関する情報を投稿します。 ※記事の無断転載はご遠慮ください。

(4)よくある質問 / General FAQ

 

 

 

定義/Definitions

エイセクシュアル(Asexual):性的な魅力に惹かれたり、性的な関係への欲求を本質的に経験しない人。(または、そのような人を表す形容詞)

 

デミセクシュアル(Demisexual):感情的な強い絆ができたときだけ性的な魅力や欲求を経験することができる人 。(または、そのような人を表す形容詞)これは、ある条件を満たすまで性行為を控えるという選択とは異なる。

 

グレイ・エイセクシュアル(グレイ・エイ)またはグレイ・セクシュアル(Gray-asexual (gray-a) or gray-sexual):エイセクシュアリティセクシュアリティの中間にあてはまる人。(または、そのような人を表す形容詞)グレイの人はごくまれに、性的な魅力に惹かれていると感じることがある。しかしその程度と頻度は低く、人間関係において性行為や性的スキンシップを重要視していない人々も当てはまる。(注:“gray” / “grey”のスペルは国によって異なる場合がある)

 

アロセクシュアル(Allosexual):性的魅力や性的な関係を持ちたいという本質的な欲求を経験している人。(または、そのような人を表す形容詞)この言葉は単に、「セクシュアル/性的」と呼ばれることもある。

 

アトラクション・魅力(Attraction):人と人を引き合わせる心理的または感情的な力。これは、性的、ロマンティック、美的、感覚などの種類に分けられる。通常、魅力は、特定の人、特定のタイプの人、または個人的な感情に向けられている。エイセクシュアルは性的な魅力に惹かれることはないが、ほかの種類の魅力を感じることがある。 

 

美的魅力(Aesthetic attraction):相手の外見に惹かれること。恋愛感情や性的欲求をともなわない。

 

ロマンティックな魅力・恋愛的指向(Romantic attraction):他者と恋愛関係になりたいと望んだり、相手に強い恋心や愛情を寄せること。

 

感覚的魅力(Sensual attraction):性的でなく、性行為につながらない、愛情のこもったボディタッチ、ハグ、キスなど、誰かと身体的な接触を持ちたいと望むこと。

 

性的魅力(Sexual attraction):誰かと性的に触れあいたいという欲求 。通常、エイセクシュアルの人は性的魅力を感じないが、人間関係を築く上で時間とともに徐々に進展することもある。そのような場合、デミセクシュアルやグレイセクシュアルに当てはまる人もいる。

 

性的指向(Sexual orientation):性的な魅力を感じる性別、または感じない性別の傾向にもとづいたアイデンティティのこと。例えば、ヘテロセクシュアルホモセクシュアルバイセクシュアル、パンセクシュアル、エイセクシュアルなど。

 

ロマンティックな指向/恋愛的指向(Romantic orientation):恋愛対象になる性別の傾向にもとづいたアイデンティティのこと。例えば、ヘテロロマンティック、ホモロマンティック、バイロマンティック、パンロマンティック、またはアロマンティックなど。人によっては、異なる性的指向とロマンティックな指向を持っている場合がある。(例:バイロマンティックでエイセクシュアルなど。)

 

スペクトラム(Spectrum):エイセクシュアルからセクシュアルまでの、セクシュアリティの強さの範囲をそのように呼ぶことがある。「エイセクシュアル・スペクトラム(エース・スペクトラム)」という用語が使われることもある。これに属する人たちは、ほかの性的アイデンティティよりも、エイセクシュアルであることをより強く認識している。

 

エイセクシュアル・アンブレラ(Asexual umbrella):デミセクシュアルやグレイセクシュアルのようなエイセクシュアリティに近いアイデンティティが、エイセクシュアルと幅広いコミュニティで密接につながっていること。

 

エース(Ace):エイセクシュアルまたはエイアセクシュアル・アンブレラの人々に対するカジュアルな呼び方。エイセクシュアル当事者の愛称。ネットスラング

 

クィアプラトニックな関係(Queerplatonic relationship):ロマンティックでもセクシュアルでもなく、友情を超えた感情的な絆にもとづく献身的な関係を指す。アロマンティックやエイセクシュアルの人の間でしばしば使われる。

 

 

 

体験談/Experiences

わたしはエイセクシュアルですか?

これは、あなたがご自身で答えを出す問いです。エイセクシュアルの定義は、「性的な魅力や性的関係を持ちたいという本質的な欲求をほとんど感じない人」です。そして、デミやグレイなども含め、どのラベルが一番自分に合っているのかを決めることができるのはあなただけです。FAQとAVENの他の資料を読むことで、あなたはエイセクシュアルかどうかを判断することができるかもしれません。また、他の人と一緒にご自身の体験やエイセクシュアリティこのことについて考えてみることもおすすめします。

 

誰にも性的な魅力を感じません。それは、エイセクシュアルであることを意味するのでしょうか?

定義からすると、そうです。エイセクシュアルというラベルを使うかどうかはあなた次第ですが、この指向が自分に合うかどうか、自分の体験と一致するかどうか、調べてみることをおすすめします。AVENフォーラムをはじめ、情報を得るために利用できるエイセクシュアルのリソースはネット上でも増えています。(英語圏ではYouTuberやインフルエンサーを容易に見つけることができます。)

 

ある人が魅力的であることは理解できますが、仮に交際に発展したとしてもその人と性行為する必要性をあまり感じません。わたしはどのラベルに当てはまりますか?

例えば、性的に惹かれを感じずとも美しいと思う人を見つけることもできます。エイセクシュアルの人は、性的な魅力は感じないものの、その人のことを美人/セクシー/かっこいい、などと思うことがあります。エイセクシュアかどうかは、結局のところ、性行為をしたい欲求があるかどうかに行き着きます。もし、あなたがそのように感じていないのであれば、相手に対する魅力は性的なものではありません。何か別の魅力に惹かれているのだと思います。

 

生まれてこのかた、3人くらいにしか惹かれたことがありません。その時は、性行為したいと思いました。セクシュアルとエイセクシュアルのどちらになりますか?

エイセクシュアリティセクシュアリティは、決して白黒はっきりつけることはできません。「エイセクシュアル」の境界線と「セクシュアル」の境界線の間には、セクシュアリティの度合いに応じて広い範囲が存在します。その範囲を「グレイエリア」と呼ぶことができます。グレイエリアにいる人の多くが、自分はセクシュアルよりもエイセクシュアルに近いと感じています。彼らは自らをグレイ、グレイセクシュアル、グレイエイセクシュアル、グレイ・エイと名乗ることがあります。また単に、エイセクシュアルと名乗ることもありますが、それはそのほうが相手に伝わりやすい場合でしょう。例えば、自分がグレイエリアに当てはまるかもしれないと思いつつ、エイセクシュアルと名乗っている人の多くは、人生において性的な魅力を感じた頻度が極めて少ないことが多いようです。

また、エイセクシュアルの人が性行為をしたいと意思表示したり、性行為をする場合には、その背後にさまざまな理由があることに注意してください。恋愛中のエイセクシュアルのなかには、パートナーに愛情を示す方法として性行為を選ぶ人もいるでしょうし、相手を喜ばせたい人もいるかもしれません。子どもが欲しかったり、性交を経験してみたいと思ったり、さまざまな事情から性行為をしたいと思うエイセクシュアルがいます。しかし、それらは大多数の人が一般的に考える理由とは本質的に異なります。

 

相手をよく知ってからでないと、心からその人に惹かれることはありません。これはエイセクシュアルの仲間ですか?

ある条件を満たしたり、ある程度の交際関係に発展するまでは、他人と性行為をしないという選択は一般的です。しかし、ごく一部の人々は、親密な絆ができるまで、誰に対してもいっさいの性的な魅力を感じなかったり性行為をしたいと考えません。このような経験をしている人のなかには、「デミセクシュアル」と自認する人が増えています。デミセクシュアルの人々は、エイセクシュアルと似たような体験をしているため、エイセクシュアル・コミュニティとつながっていることが多く、一般的にはエースの仲間に含まれることが多いです。しばしばそれは「エース・アンブレラ」と呼ばれています。

 

あることに性的に興奮することがありますが、それは人付き合いとは関係なく起こります。この場合、エイセクシュアルではないということですか?

「エイセクシュアル」とは、性的興奮を感じることがあっても、誰かと性行為をすることに本質的な興味や欲求を抱かない人のことをいいます。人によっては、性的に興奮する行動や、性的な感情を持っているかもしれませんが、それは他者との性行為を望むことにつながりません。多くの人が、自慰衝動などのなんらかの形で性的な興奮を経験しながらも、エイセクシュアルであることを自認しています。彼らはただ、ほかの誰かと性的な関係になりたいという欲求を感じていないだけです。

 

過去によく、性的な魅力に惹かれたことがあります。これは、エイセクシュアルでないことを意味していますか?

性的指向流動性は議論の対象でありさまざまな意見があります。一般論として、多くの人が、年齢、医学的な問題、人生の変化などによって、自分のセクシュアリティに揺らぎを感じる時期があります。必ずしも性的指向が変化するとは限りませんが、なかには、ある性的指向から別の指向への変化を経験する人もいます。どのラベルが、もっとも自分に適しているかを考えた上で、自分のアイデンティティを決めることができるのは自分だけです。このことは、エイセクシュアルに限らず、すべての指向に共通していえることとして知られています。また、人生のさまざまな局面で異なる性別に魅力を感じ、それがきっかけでアイデンティティのあり方を変えることもあるかもしれません。

 

セクシュアリティが段階的に変化します。あるときはセクシュアル、あるときは完全にエイセクシュアルです。エイセクシュアルコミュニティの中に居場所があるのでしょうか?

居場所はあります。エイセクシュアルコミュニティに関わることで、当事者と同じような経験や視点を共有するようになる人もいます。改めて自分をデミセクシュアルやグレイセクシュアルと認識するようになる人もいます。エイセクシュアルコミュニティは、当事者でなくとも、どのような人であっても、経験を共有したり他の人と絆を深めるために利用することができます。多くの人がエイセクシュアルを機能障害としてではなく、ひとつの性的指向として深く理解することができれば、それはコミュニティの全員にとっても大きな価値となります。

 

自慰行為や性的な妄想をします。これは、エイセクシュアルとどのような関係がありますか?

かなりの割合のエイセクシュアルの人が、ある程度の興奮と性欲を経験します。そのなかには、妄想や自慰行為も含まれることがあります。一部の学者は、それを「オートコリセクシュアリティ」と呼んでいますがどのように認識するかは本人次第です。

自慰行為をするエイセクシュアルのなかには、性欲が原動力ではなく、ただ気持ちがいいからやったり、ストレス発散のためにやったりする人もいます。また、個人的に大切にしたい性欲があるために、自慰行為をする人もいます。彼らは、外部からの刺激に対する生物学的反応として興奮を覚え、解消する必要を感じているのかもしれませんが、他者(パートナー)との性行為を望むこととはまったくありません。

 

恋心を抱くことがあります。時々、恋に落ちることがあります。これは、エイセクシュアルでないことを意味しますか?

決してそんなことはありません。多くのエイセクシュアルは、セクシュアルの人と同じように、ロマンティックな魅力を感じ、ロマンティックな 恋を望んでいます。ただし、性行為は望んでいません。エイセクシュアルやエース・アンブレラの人々の多くは、恋愛の指向と性的な指向を分けて考える「スプリット・アトラクション・モデル」を使います。ロマンティックな絆は、性的な欲求とは切り離して考えることができるので、エイセクシュアルの人がロマンティックな関係を追求することはまったくもって自然なことです。ロマンティックな指向は、ヘテロ、ホモ、バイ、パン、アロマンティック(恋愛に関わる興味や欲求を経験しない人)など、性的指向と同じように表現します。また、グレイエリアのように、ロマンティシズム(恋愛をする)とアロマンティシズム(恋愛はしない)の間には中間的な領域があります。

 

愛するパートナーとの性行為を楽しんでいますが、ほかの誰かと性行為をしたいと思ったことは一度もありません。エイセクシュアルなのでしょうか?

自分にこう問いかけてみてください。――もし、あなたのパートナーが二度と性行為を望まないとしたら、あなたはそれで幸せですか?

一夫一婦型の性的魅力は、エイセクシュアルの議論とは異なります。一夫一婦型の人々は、彼らの関係を通じて満たされたい性的欲求を依然として持ち続けています。あるいは、強い絆で結ばれた相手とのみ性的な魅力や性欲を感じるデミセクシュアルである可能性もあります。

エイセクシュアルの人は、パートナーと性行為をすることで絆や物理的な快感を楽しむことはできますが、本質的な性行為への欲求はありません。例えば、パートナーに対して見返りを求めず、性的な満足感を与えることを楽しんでいることがあります。これは言い換えれば、性行為によってパートナーが愛されていると感じるのであれば、パートナーの幸せを願って、合意の上で性行為に参加したいと考えるエイセクシュアルもいるということです。

また、子供を作るために性交をするエイセクシュアルもいます。このように、性行為が私たちの人生の中でもっともプライベート性の高いものに関わる以上、何があなたにとってベストな選択なのかは、あなた自身にしか決めることができません。

 

恋に落ちません。親しい友人がいるだけで満足です。これはつまり、「ものすごくエイセクシュアル」だということですか?

エイセクシュアリティとは、片思いや恋愛関係で決まるものではなく、性的な魅力に惹かれたり、性関係を望む本質的な欲求がないことを意味します。もし、あなたがときめきや恋愛関係への欲求を経験しないのであれば、あなたはアロマンティックかもしれません。すべてのエイセクシュアルの人がアロマンティックではなく、アロマンティックの人すべてがエイセクシュアルというわけではありません。 エイセクシュアルはアロマンティックでもあるというのは誤解です。ですが、それぞれのコミュニティでかなり類似した点があります。

なお、「ほかの人と比べてエイセクシュアルである」という考えには疑問を感じます。エイセクシュアルやグレイエリアにヒエラルキーは存在しません。恋愛的指向のあるエイセクシュアルが、アロマンティック・エイセクシュアルより劣っているわけではありません。愛するパートナーと性的関係にあるエイセクシュアルも、性行為を一度もしたことがないエイセクシュアルも、コミュニティでは等しく尊重されています。

 

人に魅力を感じて性的に興奮してしまうのですが、性行為は嫌いで絶対にしません。エイセクシュアルなのでしょうか?

もし、あなたが性行為をしない理由が性的な魅力や欲求の欠如によるものであるなら、あなたはエイセクシュアルかもしれません。まず第一に、性行為が嫌いであることは、エイセクシュアルの定義ではありません。ただし性行為をすることに抵抗を感じるという意味でそれを嫌悪している人もいます。これには、セクシュアルもエイセクシュアルも含まれます。そのほか、性行為に無関心な人(どちらかというとあまり強い感情を持たない)、好意的な人(条件次第では相手と性行為をしてもかまわない)などが考えられます。性行為がなくても、苦痛を感じたり幸福度に影響がなければエイセクシュアルの可能性があります。しかし、それを判断するのは最終的にはその人自身です。

もしあなたがセクシュアルな人で、性行為をしないことを選択した場合、これは「独身(celibacy)」または「禁欲(abstinence)」と呼ばれます。宗教的・道徳的な理由、ネガティブな経験、個人的な修行、長期間にわたって交際を待つためなど、セクシュアルな人々が独身を選択する理由はさまざまです。エイセクシュアルと独身・禁欲の違いは、エイセクシュアルが個人的な意思決定から生まれたものではないということです。それは私たちのありのままの姿です。選択的にエイセクシュアルになることはできません。

 

わたしは、セクシュアルな人間ですが、性行為ができません。わたしをエイセクシュアルと呼ぶ人たちがいます。彼らは正しいのでしょうか?

あなたがセクシュアルだと感じればセクシュアルです。エイセクシュアルとは、生まれながらにそなわっている性的指向であり、性行為の経験不足や性行為を行う能力の欠如によって定義されるものではありません。ましてや、あなたの性行為の頻度や程度から他の人たちがあなたの性的指向を決めることはできません。あなたの性的指向が何であるかは、あなた自身が決めることです。

 

映画やドラマ、本に出てくるような、概念としてのセックスは好きですが、自分がすることについては全く興味がありません。エイセクシュアルに当てはまりますか?

エイセクシュアルの可能性はあります。もし、あなたが人に対して性的な魅力を感じなかったり、ほかの人と性行為したいという本質的な欲求がないのであれば、これはあなたが見たり読んだりするものとは分けて考えるべきでしょう。私たちがエンターテインメントとして楽しむもののなかには、現実には望まないものがたくさんあります。例えば、車が崖から落ちて、そのまま岩場を転げ落ち、炎上するようなドラマチックな場面を思い浮かべてください。見ている分にはよくても、そんなことは絶対に経験したくないです。

 

エイセクシュアルも性欲はある、という記事を見たことがありますが。

そのような記事のほとんどは、私たちが単に「リビドー」と呼んでいるものです。これは、性的な刺激を求めて気持ちを駆り立てる性的興奮を説明しているものです。

エイセクシュアルの人にとって、この興奮は他者の誰にも向けられていません。性欲(リビドー)のあるエイセクシュアルの人の多くは、自慰行為やほうっておくことでそれを解消しており、パートナーと性行為したいという欲求は根底にありません。

 

 

アイデンティティ/Identity/

ストレート・ゲイ・バイ・そのほかであると自認していますが、エイセクシュアルの定義にも当てはまります。これは、間違っているのでしょうか?

いいえ、あなたが当てはまると思うのであれば、ほかのオリエンテーションと合わせて自認することが可能です。エイセクシュアルの人たちは、ロマンティックな魅力を感じることができるので、指向を性的なものと恋愛的なものに分けている人が多いです。例えば、ホモロマンティックなエイセクシュアルは、自分を同性愛者と呼ぶかもしれません。それは、彼らのアイデンティティと彼らの望む人間関係に沿って定義されます。また、ストレート・ゲイ・バイ・パン・エースなどのラベルを組み合わせることが、ほかの人に自分自身を説明する助けになるのならそうすることもできるでしょう。

 

エイセクシュアルの人は、セクシュアルな人よりも知性・責任感・道徳性・そのほかにおいて優れているのでしょうか?

性的指向がその他の特性を左右することはありません。エイセクシュアルの人々は、知性、道徳性、運動能力、社交性など、ほかのどの分野でもセクシュアルの人々と同様です。

 

このコミュニティに出会えてよかったです。性行為する人たちって、すごく迷惑・おろか・間違い・不快ですよね?

いいえ。AVENはアンチ・セクシュアルの視点に同意も賛同もしていません。エイセクシュアリティ性的指向のひとつであり、それは私たちのありのままの姿であって、性行為やセクシュアリティ、セクシュアルな人々に対して特定の見解を示すものではありません。エイセクシュアリティは、ほかのオリエンテーションと同様に多様性があり、他の人と比較して優れているわけではありません。また、AVENにはエイセクシュアル当事者のパートナーであったり、ある時期からエイセクシュアルでいると自認している人など、多くのセクシュアルなメンバーがおり、彼らの視点はコミュニティで非常に重要視されています。

また、多くのエイセクシュアルは、一般的な性に対して非常にポジティブで協力的な見方をしています。エイセクシュアルは性行為には前向きではありませんが、ほかの人が自分の性的なものを表現することについては全面的に支持していることもあります。エイセクシュアルの人々は、性的な世界で生きることへの不満を共有し合うことができるかもしれませんが、エースコミュニティが性行為や性的な人々に対して保持する標準的な態度というものは存在しません。

 

そもそも、なぜエイセクシュアルは「カミングアウト」する必要があるのでしょうか?

一部のエイセクシュアルは、「性的な関係を結ばなければならない」という大きなプレッシャーを抱えて生きています。とくに、もし周囲の人々がその人のエイセクシュアリティに気づいていないのであれば、なおさらのことです。エイセクシュアルであることを公にすることで、その人がどう感じているのか、何を望んでいるのかについて理解を深めることができ、性行為をしなければならないという思い込みや、期待を取り除くことができます。

エイセクシュアルをオープンにすることは、本当の自分を見せたい、表現したいと願う人にとって、一種の解放にもつながります。もちろん、カミングアウトは個人の自由であり、しなかったからといって誰もあなたを評価したりしません。ただ実際に、多くのエイセクシュアルが自分についてオープンにすることで安心感を得ています。

 

なぜエイセクシュアルのコミュニティが必要なのでしょうか?

エイセクシュアル・コミュニティに参加することに価値を感じるかどうかは別として、多くの当事者にとってお互いの体験を共有することは大きな意味があります。コミュニティの形成は、可視化と教育、そして同じような体験をしている人たちへのサポートとガイダンスを提供するために不可欠なものです。2002年の結成以来、AVENは10万人以上のメンバーを持つコミュニティフォーラムをはじめ、エイセクシュアリティに関する主要な情報源となっています。エイセクシュアルの人たちは、AVENが提供するリソースを活用して認知度を高め、人々を結びつけていくことで、恩恵を受け続けることができます。

また、ほかのエイセクシュアル・コミュニティは、ソーシャルメディアの至る所にあります。TumblrFacebookRedditなどには、エイセクシュアル同士がつながるためのスペースがいくつもあります。このようなコミュニティに参加する理由は、エイセクシュアルについて学ぶため、自分自身について学ぶため、同じような人々とつながるため、など様々です。

 

エイセクシュアリティはもともとクィアだと思います。賛成ですか?

「エイセクシュアリティ」は新しい概念で、エイセクシュアル・コミュニティは、LGBT+のアイデンティティやコミュニティよりもずっと歴史が浅いです。欧米諸国における初期のLGBT+の歴史のさまざまな節目において、エイセクシュアリティはコミュニティとして確立されていませんでした。そのため、すべての運動や組織が、ジェンダーや性の多様性の一部として、エイセクシュアルを受け入れていたわけではありません。

エイセクシュアルの人々の中には、クィアを自認する人もいれば、マイノリティであることに共通点を見いだし、LGBT+の仲間と協力する人もいます。また、独自の理由からLGBT+のコミュニティに参加しないエイセクシュアルもいます。例えば、ある文化圏では、エイセクシュアルの人たちは性的指向のことで、社会から疎外されていると感じていない場合があります。その例としては、一般的にストレートと名乗っているヘテロロマンティックなエースたちです。

AVENは、組織としてLGBT+グループとの協力と支援を強く望んでいますが、自分が「クィア」であるとみなすか、LGBT+の一部であるとみなすかは個人の判断に委ねられています。

 

 

疑問と不安/Doubts and Fears

好きな人と本当に性行為したいのに、いざすると何も感じないし恐ろしくなります。なにがいけないのでしょうか?

あなたはなにも間違っていません。もし、行為を楽しめなかったり、したあとで深くがっかりするなら、それは、あなたが望んでいないからなのかもしれません。(仮に性行為を望む人になりたいと思っていたとしてもです。)エイセクシュアルの人は、本質的にほかの人と性行為をしたいという欲求がありません。たとえ、あなたが恋愛感情を抱いたり、美的な面で相手に深く惹かれていたとしてもです。

慎重に考えてみてください。あなたにとって性行為とはなんでしょうか。性的な行為から、なにを得たいと思いますか。人々が口にするような快感を期待していますか。あるいは、パートナーとの愛情表現の時間にしたいですか。それは、誰にとっても同じものではありません。もし、あなたがパートナーと同じように楽しめないなら、あなたはエイセクシュアルかもしれませんし、そうであってもそれは問題ありません。

実際、多くの当事者が「普通の」性的関係を持ってみたものの、うまくいかず自分がエイセクシュアルであることに気がついたという経験を持っています。エイセクシュアル・コミュニティは、同じような体験談に基づいて、サポートやガイダンスを提供するために活動しています。人間関係において性行為が平気なエースもいれば、まったく強いこだわりを感じない人もいます。あるいは、性的なことに抵抗があったり、嫌悪感があるという人もいます。いずれの場合も問題があるというわけではありません。

注:性欲の欠如が原因で個人的に悩んでいる場合は、医療専門家に相談することをおすすめします。アセクシュアル性的指向のひとつです。しかし、性的欲求低下障害(HSDD)のような疾患は、セクシュアルの人が性欲の低下に直面している場合に、さらなる悪影響を及ぼすものです。

 

エイセクシュアルであることはずっと孤独だということですか?

そんなことはありません。エイセクシュアルであっても、本人が望めば充実した恋愛関係を築くことができますし、実際に多くの当事者がそうなっています。これから、気の合うエイセクシュアルに出会えるかもしれませんし、お互いに歩み寄れるセクシュアルなパートナーに出会えるかもしれません。恋愛関係以外では、一般の人と同じように親しい友人関係を築くことができます。希望を持っていきましょう。

 

エイセクシュアルであることは一時的なものですか? どうしてこの状態が続くといいきれるのですか?

どの性的指向の人でも人生の中で自分の指向に疑問を抱く時期があります。エイセクシュアルの人も同じです。いまエイセクシュアルであると自認していたとして、あとになって別の指向であることに気がついたのなら、それは「一時的なもの」ではなく、あなたの自己発見の過程にほかならないのです。誰もが幼い頃から自分が誰なのか、何者であるかを正確に知っているわけではありません。2015年のエイセクシュアル国勢調査によれば、80%以上のエースが、エイセクシュアルであると自認する前に、別の指向であると認識していました。だからといって、ほかの指向が「一時的なも」のだった、ということにはならないと思います。

エイセクシュアルのコミュニティは、自分の指向に疑問を持っている人やまだ自分自身を理解できていない人を助けるために開かれています。あなたの事例がどうであれ、現在の自分をもっとも適切に表すものとしてアイデンティティを持つことは、恥じるべきことではありません。

 

自分がエイセクシュアルだと認められません。理想の相手を見つけて、その人と性的な関係を持てばいいと思うのですが。

エイセクシュアルであることに違和感や抵抗感を感じるなら、もちろんそれはあなたの選択です。エイセクシュアルであっても、その後に、性的欲求を刺激してくれるパートナーが見つかればそれはそれで素晴らしいことです。コミュニティに関わりエイセクシュアリティについて知ったり、同じような経験を持つ人と交流することで、自分の中のなにかを失うということはありません。また、将来的に性行為することを禁じる必要もありません。

 

自分のなにかが、すごく狂っているように思えます。わたしは壊れています。エイセクシュアルの原因は幼い頃のある出来事に関係がありそうです。そのせいで、こんなふうになってしまったと思います。

エイセクシュアリティは正当な指向であり、あなたが壊れているわけではありません。また、エイセクシュアリティは機能障害ではありませんし「原因」や「治療法」を探す必要もありません。ほかのすべての指向と同じで、トラウマを経験した人もいれば、そうでない人もいます。現に、2015年のエイセクシュアル国勢調査によれば、エースの過半数が性的暴力を経験したことがないと回答しています。

とはいえ、もし人と親密になることが困難で、その結果として幸福感を得られないのであれば、なんらかのカウンセリングを受けることをおすすめします。どのような指向であっても、精神的・肉体的に自分を大切にすることはごく当たり前のことです。

 

性的な抑圧を受けているか、現実社会から距離をおくためか、あるいは逃避するためにエイセクシュアリティを利用しているのではないかと心配しています。本当にエイセクシュアルなのかどうか、どうすれば確認できますか?

あなたがエイセクシュアルかどうかは、あなたにしかわかりませんが、調べるための出発点を提供することはできます。あなたは性的な衝動にかられないようにあえて我慢する選択をしていますか。性的な欲求や興奮などを感じないことでなにかを我慢しているように不満に感じることはありますか。

そうではない場合、エイセクシュアルである可能性が高いです。そして、心身の健康全般は指向に関係なくすべての人が取り組むべき課題です。もし、なにかに我慢していると感じたら、できるかぎりの範囲でいま必要なセルフケアを実践してみてください。

 

エイセクシュアルであることがいやです。ほかの人たちと同じように、普通になりたいです。どうすればいいですか?

ほかの性的指向と同様にエイセクシュアルであることは選択肢ではありません。それは、治療すべき病気でもなければ、変えようと努力するものでもありません。欲求の有無に応じて行動を変えることはできても、欲求そのものをなくすことはできません。これは、シンプルに私たちが人間であるということです。もし、ほかの人たちと距離を感じているなら、ネットや対面でサポートしてくれるエイセクシュアルコミュニティはあります。そこにいる人たちの多くは、お互い同じようなことを経験していますし、支援を必要としている人たちに知恵を提供してくれるはずです。

 

エイセクシュアルだとは絶対に人にいえません。変人あつかいされたり、笑いものにされるのがこわいからです。

受け入れてもらえるか心配なのは、あなただけではありません。もし、公にカミングアウトすることに抵抗があるのであれば無理にそうする必要はありません。多くのエイセクシュアルが同じ悩みを抱えており、だからこそ、AVENフォーラムのようなオンライン環境が多くの当事者を救ってきました。大切なのは、あなた自身がどう考えるかです。そのためのサポート環境としてAVENのようなエースのコミュニティサイトは増え続けています。

最後に、エイセクシュアルの人たちは、カミングアウトすることによって様々な状況に直面するわけですが、ポジティブな経験も多くあります。カミングアウトのあとに、エイセクシュアリティとはどういうものかを説明する必要があることも多いでしょう。気長にいきましょう。あなた自身も、はじめは自分がエイセクシュアルであることを理解するために苦労していたはずです。ですから、ほかの人が最初にエイセクシュアリティについて聞かされたとき、同じような困難があってもおかしくはありません。まず、AVENのこのFAQセクションが役に立つことをねがっています。また、コミュニティへの参加をすすめるなど、さまざまな方法で人々の理解を深めることができます。   

 

 

 

 

 

 Link to original source :    https://asexuality.org/?q=general.html